News>2009.01.04

 

【コラム】”起こりつつあるグローバリゼーション(その1)”

 

もはや世界は丸くなく、平ら(フラット)である。

物理的な意味で平らではなく、検索サービスやネットなどの情報技術の発展により、ヒト、モノ、金、そして情報が国を超え世界規模で飛び交う世界の比喩的表現です。 全米ベストセラーのビジネス書、“フラット化する世界”(The world is Flat)の著者トーマス・フリードマン氏は、法人から個人へ、先進欧米国から新興国へ競争機会が移りつつあることを、世界の競技場が平ら(フラット)になる、という単純な言葉で定義しました。

フリードマン氏の言葉だけではありません。実際は、世界中の人々との物理的心理的距離が縮む現象は、既に起こっている未来です。昨今の情報技術の発達による国を越えた情報アクセスと共有、中国やインドへの業務アウトソーシング、米国などの先進国を中心とした雇用形態変化や失業率向上、そして昨今の米国金融危機に端を発した世界的不景気の波など、世界が小さくそして益々平らになっていることを示してます。米国の経営コンサルタントSirkin氏らの著書”Globality”においては、世界のマーケット(市場)で新興国や先進国、ローカル企業やグローバル企業、個人や法人など、全ての競技者間での競争こそ“Global reality”(世界の現実)だとし、昨今の世界の現状を“Globality“と名づけました。グローバル競争の津波は、他人事ではなく全ての人に影響するのである。世界がフラット化しつつある現実の中では、先進国や新興国、大企業や中小企業問わず、誰もがグローバル競争の競技者となります。

これら世界的市場でのイベントは、遠い海外での出来事ではありません。一カ国での金融危機や新しいビジネスモデルの出現は、他国での金融市場や雇用市場、市場の成長や衰退に影響します。つまり各国・各地域との相互依存性が高くなっています。グローバリゼーションの津波とでもいえばよいのか、この勢いは収まることなく続いてくトレンドです。米国がくしゃみをすれば、他国が風邪をひく。このような相互依存性の高いフラット化時代は、ヒト、モノ、金、情報が国という制約条件が受けず、世界規模での流通と選択が起こります。

もちろん物やサービスの流れは、多かれ少なかれ国の規制や法律や国際貿易に制限を受けます。ヒト、モノ、金はいうに及ばす、情報さえも、国による規制単位です。例えば中国市場では、Googleの検索サービスには検索対象外となるサイトが存在します。中国政府の規制や介入を受け入れた結果です。企業側も、意図的にまたは結果的に製品・サービスの仕様や価格をローカル化して提供しています。

しかしながら、グローバル市場がフラット化になりつつあるのは疑いようのない事実です。近未来、例えば50年後の世界市場では、国という単位さえも存在しないかもしれません。

ではグローバリゼーションの要因・要素をどのように捉えるか、を次回に述べてみます。